ニュートラル

心がスッとニュートラルな場所に戻る瞬間がある。

わたしが在りたい姿
わたしが過ごしやすい姿

そういった場所へ帰れた時、
誰も居ないプールに潜っているかのような静けさと安心感がある。

鼓動のような音。
鳴っているのは水か、酸素か。

今日、今、またそこへ帰れた。

sensitive


悩んだり迷ったり。模索しているのは相変わらず。

でも、弱くても格好悪くてもいいかな、とも思う。

自分に素直に生きたいんだよ。

その方が苦しくないから。

弱くても格好悪くても、一緒に居てくれる人たちを大切に生きていこう。

敏感な自分に疲れることもあるけど、

そんな自分にしかできないことがあると信じて。


泣いてばかりのあなた。

よく笑うことも知っているのよ。


glare

青い炎は熱い

今年はわたしを取り巻く色々なことが変化していて
ようやく慣れてきたところです。
それと同時に創作意欲が湧いてきて、インプット/アウトプットどちらもやりたいモードに突入しています。

この間、写真のゼミの生徒を募集していたのですぐに応募した。
講師が数名居て自分の希望が出せるのだけど


写真に限らず表現において重要なことは、自らの感性や衝動により自由に従うこと。そして、それを実現する閃きや技術を身につけることです。


この言葉に、「そう、それ、そうなの。本当に、そう。」と深く共感し
大和田良さんのゼミに申し込んだ。

この数年、写真展などには出しても「自らの感性や衝動により自由に従いきれていない」状態だった。
ちいさな炎を大切に大切に、なんとか守っていたように思う。

でも、だんだん居ても立っても居られなくなって。
今日は無性にインプットしたくなった。

図書館はコロナウイルスのせいで開いていない。
そもそも本屋が開いている時間でもない。
だからKindleで写真集を眺めた。

自分に足りないものは、向き合っていなかっただけでわかっていて
わたしは圧倒的に情報量と技術が足りない。
それを補わなくては。少しでも、少しでも。

久し振りだ。焦りのような欲。
でも苦しくなんかない。楽しい。
こんな気持ちにまたなれたことが嬉しい。

強い風が吹いてる。
「青い炎は熱い」とメモをしていたことを思い出す。

居なくならないでほしいひとが居なくなり
聞きたい音も聞こえなくなる。

最近はそれをどうこう言える立場なのかすらわからない。

満たされつづけた結果、飽和飽和飽和。
自分で整理整頓できなくなった思いは
今まで与えてくれてたひとに投げつけているんでしょ。
お手軽だね。


不完全さに抱く好意もあれば
神になれないと襲いかかってくるような敵意もあるのね。


これを機に、やり直せばいいと思うの。
本当に大切にしたいこと、手放しても大丈夫なこと
今年は見えてきたひと、多いと思うの。




大切な表現者が声をなくしたから、声をあげてみました。